2014年5月1日木曜日

沖縄戦の爪痕

・「芳魂之塔」という慰霊碑。沖縄戦で、日本軍兵士、日本軍に伊江島防衛隊としてかりだされ亡くなった人、その他住民3500人もの人が弔われていました。

・ニャティヤ洞(千人がま)。後で謝花さんに聞いたのだが、アメリカ軍が20(たしか20か30)もの軍艦で伊江島を攻めてきたとき、海とつながるこの洞窟に約1000人の島民が隠れていたそうです。
追い詰められて自決を覚悟したその時、老人が「命は最後だ!最後まで大事にしなさい。それなら、逃げれるところまで逃げよう!」と言って、結局1000人全員無事だったそうで、それで「千人がま」と呼ばれるようになったそうです。
もうひとつある「アハシャガマ」というのは、行きそびれたので、明日の朝行くことにするが、ここでは自決が行われたそうだ。なんとも…。

・米軍の演習場(島の3割だっけかな…。)
畑に沿ってフェンスがずらーっと建てられていた。オスプレイは見れなかった。

・他にも「団結道場」「公益質屋跡」など…。沖縄戦の爪痕がまだまだたくさん残る島。何も言われなきゃただのキレイな景色。神秘的な洞窟だけどね…。

・東田Tのすすめで「命ど宝の家」という平和資料館にも行きました。伊江島は沖縄戦で沖縄本土を攻撃する際に拠点として狙われ、奪われた島だった(今もだな)。島から追い出され、戦争が終わってからもすぐには戻れず、島に戻ると、家が破壊されていたり、また壊されたりして、土地が奪われてしまう。村をあげて「自分たちの土地をかえせ!平和をかえせ!」と米軍や日本政府と闘ってきた歴史がある島なのだ。そんな闘いの歴史がどれだけひどく、大変だったかがよくわかる展示だった。
館長の謝花さんは、「とにかく知ってもらいたい。沖縄のことは今もそうだが、ほとんど知らされていない。だから、あなたにも知ってもらいたい。」と言っていた。「知識は必要だ。知識は人を豊かにする。」親父が言ってたなあ…。と思い出した。知ったらそこへ行く。誰かに伝える。誰かを連れていく。それが知った者の役割、体験した者のなのかな…、と思った。だから、「ブログ書きます」と言ってみた。
明日から高江村に行くが、そのあと、また伊江島に来ることにした。

しかし、日本はどうなっちゃうんだろう?まったく暗いな…。

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