午前中は観光の続きです。
広島市街地から車で40分ほど・・・。
呉という港町に来ました。
目的地は、そう「大和ミュージアム」でっす!
戦艦「大和」ね・・・。
日本の最高技術を駆使してつくられた戦艦は、アメリカ軍の猛攻を受けて撃沈した。
素晴らしい日本の技術・・・。それがあっけなく撃沈された終焉の象徴としてのイメージだ。
戦艦「大和」の撃沈や敗戦を受けて、
呉は造船技術を平和利用することに方針を変え、バカでかいタンカーを作ったりしたみたい・・・。
時間がなくて、くわしーくは見れなかったけれど、戦争から何を学ぶかって大事だなあと・・・。
「大和」の悲劇は、名前への親近感(私ごとですが)を抜きにしても他人事ではないはずなのに・・・。
「戦争をすることが平和につながるんだ」「平和のために戦争をするんだ」というわけのわからん理屈は、戦艦「大和」から学んだ呉の行き方とは重ならない・・・。
原子力の平和利用・・・?
平和に利用できるものではないとわかっているのに・・・。
大きなホールに展示されている10/1サイズの戦艦「大和」は、ぱっと見カッコイイ。
子どもやアホな大人が見たら、大喜びするはずだ。
でもあれは、あくまでも悲劇の象徴だ。
日本の大切な技術が無駄に使われた虚しさの象徴だ。
そして、この「大和」によって、多くの人が犠牲になった悲しみの象徴だ。
「こんな風に自分たちの力を使ってはいけない」という戒めの象徴だ。
展示の中に 臼淵 磐 大尉と言う人の言葉があった。
「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩というものを軽んじてきた。私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。
敗れて目覚める。それ以外にどうして日本が救われるか。いま目覚めずしていつ救われる。俺たちはその先導になるんだ。日本の新生にさきがけて散る。まさに本望じゃないか」
この言葉は出撃していった乗組員たちの思いを伝えてくれている
これは、この大尉が出撃する乗組委員にかけた言葉で、これを聞いた若者たちは、「よしいくぞ!」という気持ちになって出撃していったということらしい・・・。
特攻隊というのは飛行機だけでなく戦艦でもあったというのは知っていた。
つまりは人間魚雷だ。
大尉の言葉は人間魚雷となった乗組員たちの思いを伝えている。という意味なのだろうが、どうも納得いきません。
というよりも、
間違いだとわかっているのに、どうして死ななければならないのか?
未来のためになら命を捧げてもいいのか?
死んでいい人などいないはずなのに・・・。
かっこいいこと言って戦争を美化するのは、やめてほしい・・・。
そんな人が今もたくさんいることにがっかりする今日この頃・・・。
つらつらと書いてしまった・・・。
まったく・・・。
大和ミュージアムは上の階で遊べるところがいっぱいあって(船の科学を学べる)、みんなで遊んだ。
おもろー!だった。
最近思ってんだけど、モノクロ写真悪くないよなー 昔、大和ん人が言ってた。「たて撮りはズルイ」って
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